昔、ルドルフとベルタという恋人同士が暖かい春のタべ、ドナウ川のほとりを散策していた。乙女のベルタは、河岸に咲く青い小さな花を見つけた。彼女は、若者のルドルフにその可憐な花を採って欲しいと頼んだ。彼は、岸に降りていきその花を手折った瞬間、足を滑らせ急流に巻き込まれてしまった。ルドルフは、最後の力を尽くして、花を岸辺に投げ、「私を忘れないで」と叫び、流れに飲まれていってしまった。残されたベルタはルドルフの墓にその花を植え、彼の最期の言葉を花の名にした。ドイツに伝わるこのような伝説から、この植物の名前を”Vergissmeinnicht”(忘れな草)と呼ばれている。英名でも、”Forget-me-not”、中国名でも「勿忘草」と呼ばれている。何れも同じ意味である。
この植物の名前「忘れな草」について別の言い伝えもある。アダムが楽園の植物すべてに名をつけ終わると、神は、アダムを連れて園内を巡回した。植物がそれぞれの名を覚えているかどうかを調べて回るためである。しかし、この青い小さな花だけが、うなだれて申しわけなさそうに小声で「忘れました」とお詫びした。神は、この小さな花を哀れんで「自分の名を忘れたからとて気にすることはない。しかし、私を忘れてはいけないよ」と慰めて、改めて「忘れな草」の名を与えた、ともいわれている。
「ワスレナグサ」は、ヨーロッパ原産の多年草で湿地や川辺に生える。春から初夏にかけて淡青色で中央が黄色の可憐な花を着ける。この花は昔から愛と誠実のシンボルとして多くの民謡や詩に歌われている。日本では、「忘れな草をあなたに」という歌謡曲が有名である。木下龍太郎氏作詞、江口浩司氏作曲の哀愁を帯びた美しい歌である。
この歌詞を、少なくとも一度や二度、耳にされた方は多いと思う。この花には、こんな美しいロマンが秘められているのである。
この花には、また、この花にまつわる多くの伝説が伝えられている。スイスでは、若者がズポンのポケットに、この花を入れて行くと若い娘に気に入られると言い伝えられている。中部ドイツでは、偶然見つけたワスレナグサを左の腋の下に入れて家路をたどると、途中で出会った最初の人が未来の配偶者の名を教えるといわれている。イギリスでは即位前のヘンリー四世が追放されたおり、この花をシンボルとして結束を図った。このことから、出身のランカスター家では、この花が、家紋とされたと伝えられている。
この花は、古くは、閏(うるう)年の2月末日に旅立つ人への餞別として用いられた。しかし最近では、別離とは関係なく、恋人がこの日にワスレナグサの花をプレゼントするということである。ドイツでは、この花を愛する人の墓に植えたりもする。このように、この花は、古来、誠実と友愛の表象とされ、いろいろな場面で、用いられてきた。
学名(属名)の”Myosotis”は、ギリシア語myos(ハツカネズミ)とotis(耳)を語源とする古代ギリシア名myosotisに由来する。葉の形が、「マウスの耳」に似て、小さくて柔らかくネズミ色の毛が生えていることによると言われている。
学名(種小名)の “scorpioides”は、「サソリの尾に似た」という意味がある。花序がサソリの尾のように曲がっていることに因む。その関連からか、古くは、サソリ毒の治療に使われたということである。
ヨーロッパでは、この植物の全草が、民間薬として、肺の疾患に用いられる。肺などの呼吸器系の器官に特別な効果があるようである。肺結核の寝汗や喘息、慢性気管支炎などにも用いられる。
(「プランタ」研成社発行より)