BOTANICAL

植物紹介
植物紹介

バニラ(ラン科)

Vanilla planifolia Jacks. ex Andrews

バニラ

植物の話あれこれ39
アイスクリームの香り「バニラ」

当館へバニラの株が導入されたのは、1955年である。そして、1979年に初めて「バニラ・ビーンズ」と呼ばれる果実を採取することができた。その後、20年が経過した。この間、ほぼ毎年、花がつき開花していた。しかし一度も果実を得ることができなかった。人工交配の技術が拙かったのか、交配のタイミングがよくなかったのか、情熱が足りなかったのか、何れかである。そして、訪ねて来られた方々に、相変わらず、20年前に採取した「バニラ・ビーンズ」の香りをにおっていただいていた。それでも、なお芳しい香りを放ち続けてはいるのであるが。このような訳で、何としても、新しい果実を収穫したいものだ、と強く願っていた。そして、とうとう今年 (註:1999年)は人工交配に成功した。写真に見られるように多数の果実がつき、現在成熟が進みつつあるところである。秋には、甘く芳醇な香りを放つ待望のバニラビーンズを手にすることができるだろう。バニラは花も魅惑的であるが、むしろアイスクリームや、チョコレートの甘い香りとして、人びとに親しまれている。

バニラは、メキシコからパナマと西インド諸島原産のつる性着生ランである。茎の直径は1cmほどであるが、茎の長さは10mに達し、約10cmおきにある節から根を出す。根は樹幹などに付着しながら伸び、地面に届くと分枝して地中に入る。葉は節に互生し長さ10~20cmの長楕円形で肉厚である。花は淡緑色でトランペット状に開き、長さ6cmほどである。葉腋から出る短い花茎に20~30花ほどが総状につく。花は下位の花から順々に開く。早朝に咲き、夜にはしぼんでしまう。果実は長さ15~30cmの細長い円筒形である。インゲンマメの莢(さや)に似た形をしている。このことから、この果実を「バニラビーンズ(Vanilla beans)」と呼ばれている。果実は、初め緑色で、成熟に従って黄色になる。4~5ケ月で、つやのある紫褐色に変わる。

学名(属名)の”Vanilla”はスペイン語の”Vainilla”「小さな豆果(さや)」に由来する。果実の形から名づけられたものと思われる。学名(種小名)の “planifolia” は”planus”「扁平な」と”folium”「葉の」とからなり、バニラの肉厚で扁平な葉の形を表している。

ラン科植物は約2万種あるといわれている。そのなかで名前が最もよく知られているのはバニラである。カトレアや、デンドロビュームの名を知らない人でも、バニラを知らない人は、ほとんどいない。もっともバニラが、ラン科植物であるということを知らない人は多いと思うけれども。バニラがラン科植物であることを知らない人も、バニラアイスクリームを知らない人はいない。このアイスクリームの甘い香りの原料が「バニラビーンズ」である。

バニラの花には香りがない。見学者に栽植中のバニラの植物体を紹介すると、多くの人は、花や葉のにおいを確かめられる。芳香を放つのは成熟果実である。果実を得るためには、人工交配が必要である。花粉を媒介する昆虫がいないためである。上述のように花は1日でしぼんでしまう。開花するとただちに人工授粉を試みる。交配に成功すると、花が落下しないで花序に留まり、子房が膨らみ、長く生長しはじめる。このようにして、果実が形成されていく。

バニラは、マダガスカルやメキシコをはじめインドネシアなど熱帯各地で栽培されている。栽培現場では、花粉を媒介する昆虫がいないわけではない。しかし、バニラビーンズの生産性を高めるために、通常、人工授粉が行なわれている。早朝、花柱と花粉塊(Pollinia)の新しいうちに交配を済ませることが大切である。熟練者は、3~4時間のあいだに、700~800以上の花の授粉を行なうことができるとのことである。

緑色の果実は、青くさいにおいがするだけである。甘い香りを得るためには、果実をそのままの状態で成熟させ続けるか、「キュアリング(Curing)」とよばれる独特な発酵熟成工程を経なければならない。キュアリングの方法はいろいろある。基本的には以下のような工程で行われる。まず果実を完熟する前に採取する。このやや黄ばんだ未熟果を、熱湯に25秒ほど浸漬する。これを昼間は1~2時間陽光の下に拡げ、夜間は密閉した箱に入れ毛布でくるんでおく。この作業を、2~3週間繰り返す。このようにして、ゆっくりと発酵させる。そうすると果実はしだいにしなやかなチョコレート色になり、特有の高貴で強い甘い香りを放つようになる。これは、果実に含まれているバニリン配糖体が果実中の酵素の作用により分解され、香気成分バニリン(Vanillin)が生成してくるためである。このような工程を終えた果実は縦じわの多い、しなしなしたひも状で、光沢がある。莢の表面には、バニリンが結晶となって析出してくることもある。通常、このような果実には、バニリンが1~5%含まれている。

バニラビーンズは、メキシコなどで、先住民が古くからチョコレートドリンクの香りつけや、タバコの香料として用いていた。その後、16世紀にアステカ帝国を征服したスペインがヨーロッパへ持ち帰り、以後、世界各地で使われるようになったといわれている。バニラは、熱帯各地で栽培生産されているが、1994年の生産量は約1400トンである。マダガスカルが、その約3分の2を占めている。その他、インドネシアや、コモロなどが主な産地である。

ヨーロッパの店先では、さやのままのバニラビーンズが束や2本セットで売られている。家庭ではミルクに入れたり、それで香りつけをしたミルクやクリームをさまざまな料理や菓子に用いている。バニラビーンズを、砂糖に入れて保存するとバニラの香りが砂糖に移る。この砂糖をマドレーヌや、クッキー、ケーキなどの焼き菓子の甘味と香りつけに利用したりする。さらに、粉砕品のバニラ・パウダーや、それと砂糖を混ぜたパニラ・シュガーや、あるいは、液状のバニラ・エキスなども使われている。バニラは食品香料として世界中で使われている。アイスクリームやクッキー、チョコレート、キャラメル、ココアなど、さまざまな食品に、甘くておいしい香りをつけている。バニラは世界で最もよく使われる天然食品香料である。

バニラは、リキュールなどの酒類や、タバコの香料としても使われる。パイプタバコの紫煙からただよう甘くかぐわしい香りはバニラビーンズによるものである。バニラは、香水やコロンなどのフレグランス(香粧品)にも多く使われる。バニラの甘い香りはヨーロッパで人気の高い「オリエンタル調」の香りに欠くことのできない香気成分である。また、花の香りが中心の「フローラル調」などでも、全体の香りをまとめ、やさしい肌残りを演出するために、バニラが使われている。バニラの香りは親しみやすく、柔らかさや、やさしさを感じさせる。このことから、子ども用や女性用のフレグランスにおいて、バニラは不可欠である。また、シャンプーや、リンス、石鹸、ボディーシャンプーなどにも、バニラの香りが使われている。バニラの香りにはストレスを和らげる効果があるといわれている。「母のやさしさ」を思い出させるような、甘くてやさしいその香りは、私たちの生活に、うるおいと、安らぎを与えてくれるのである。

バニラビーンズは薬用としても昔から利用されている。古くから催春薬として応用されてきたことは有名である。そのほか、熱病やヒステリー、月経不順などに効果があるといわれている。また薬剤の賦香料としても利用される。

バニラ属植物は熱帯地域に65種が分布している。このうち2種が果実から香料を採取する栽培植物として利用されている。「バニラ」と「ニシインドバニラ」”V. pompona”(West Indian Vanilla)である。ニシインドバニラは、西インド諸島の原産で、メキシコから南アメリカにかけて広く分布する。バニラに似てつる性のランで、果実はバニラより太く短かい。品質は、芳香性の点においてバニラよりやや劣る。植物の性質は、強健である。このため栽培は容易である。またバニラとは開花期が異なる。このためバニラと平行して栽培できるという利点がある。このような理由からニシインドバニラは広く熱帯アメリカで栽培されている。その製品は「西インドバニラ」または「バニロン」”Vanillon”と呼ばれている。製品は、北アメリカへ輸出され、バニラと同様にして利用されている。

バニラ属の植物には、上記2種の香料植物のほか、もう2種の有用植物がある。「マレイバニラ」および「マダガスカルバニラ」である。マレイバニラ (V. griffithii) は、マレイ原産のバニラである。花は緑色で中央部が赤い。果実には香気はないが、果実が甘いので食用にされる。葉は皮膚に強い刺激を与えるためマレイの人たちは育毛剤として利用している。また、葉を砕いて得た液を解熱剤としても用いている。アフリカでは、自生種の根を漁網や楽器の弦の材料にしている。マダガスカルバニラ(V. madagascariensis)は、マダガスカル島などで、この植物の茎を煎じて強壮薬として利用されている。

(「プランタ」研成社発行より)